8月6日。

69回目のヒロシマの日は
43年ぶりに大雨だったとのこと。

でも、東京は8月6日の青空。
写真 1 (3)


そして20年ぶりに
県外でこの日を迎える。

大学に通うため
広島から出てきた私が
一番ショッキングだったのは
NHK以外は平和式典の様子を
中継しなかったことである。
もちろん、
黙祷もない。

それは…

今日も同じだった。
写真 2 (1)


ワイドショーはSTAP細胞の件で
てんやわんやだった。

当時、ショックのあまり
「平和へのメロディ」とかって曲を作って
『テレビのニュースの画面が
今朝の式典を伝えている
僕はそれを横目でみながら
遠いヒロシマ思う…
(中略)
僕らの街にヒロシマの
鐘の音は聞こえない
僕らの街の今日は
昨日と変わらない…』
って歌ってた。

けど
今も変わらない。

8月6日の8:15
というものの意味を
みんなどれだけ感じているのだろうか。

私は被爆二世だ。
親は原爆手帳を持っていなかったけど。
母は市内から20キロちょいにいたらしい。
1歳になったばかりの時に。
※被爆二世の定義
…被爆者を両親または父母どちらかにもち、
両親または父母どちらかから被爆後に命を授かった者

そして、昨年癌で亡くなっている。
父も突然亡くなっている。

私は長生きしたいと思わない。

でもせめて
生きた証だけは
残したい
そして何かを伝えていきたい

と最近思う…。

この時間は、「とうろう流し」かな。

Me ke aloha pumehana