メケアロハプメハナ☆

みなさん、ALOHA~! Me ke aloha pumehana(メケアロハプメハナ) とはハワイ語で「心からの愛をこめて」 という意味です。 これからの超高齢社会の介護とかについて、気が向いたら愛をこめて(?)つぶやいています。 そして、もうひとつ書いていたBlog“いきなり末期がん患者の家族ですけど、何か?”の続編をこちらで書き続けたいと思っています。 どうぞ、つぶやきにお付き合いください。

末期ガン患者の家族でした…

母が残していった縁

ご無沙汰しています。
お元気ですか。
ブログ本を送っていただいて
ありがとうございました。
(中略)
ブログは読みごたえがありました。
私のことも書いていただいて光栄です。

お母さんの闘病の内容で
一番印象的だったのは、
鎮痛剤を指示通りに飲んだら
負けた気がする!というくだり。
そんな風に思う人もいるんだなあと
いたく感動しました。
今後の参考にします。
(中略)

お母さんもなかなかの人でしたね。
当初は病院に来たくないオーラを
出しながら来られていましたが、
慣れると楽しかったです。
最後に
緩和ケア病棟でお会いした時
「フラメンコが踊りたい」と
言われていましたが
ご趣味でしたか?
4月から東京に行かれるとのこと。
お餞別というかエールを送ります。
使ってくださいね。
またお会いできることが
あるかもしれません。
それまでお元気で。
2月13日 
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~最後に母がかかっていた
かかりつけ医の
私の大好きな
尊敬する先生から
またなぜか
母の5回目の月命日に
私の誕生日に
お手紙をいただきました。

本当に本当に
ありがとうございました。

ちなみに
母は亡くなる最期まで
趣味だったフラメンコが
大好きでした。

Me ke aloha pumehana~

誕生日のメッセージ

今日は誕生日。
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学生さんや友人から
いろいろいただきました。
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ありがとう。
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もう、誕生日だからといって
大騒ぎする年でもないし、
してほしいとも思わないし、
まあ、誕生日メールも
5人くらいの人からしか
届かなかったですが
「誕生日、おめでとう~」って
言われることが
“キミのこと、覚えてるよ”って
聞こえるから、
そういう意味では、素直に嬉しい。

でも今年の誕生日から
例年の感覚とは
大きく違う。

今日は
私の誕生日であり
母の月命日なのである。

昨年の9月13日の金曜日に
母は亡くなりました。

実は私は
2月13日の金曜日生まれで。
ずっと母に「13日の金曜日だねえ」って
いわれていたこともあり。

あれから5か月…。

これから一生
自分の誕生日に
母を思い出すことになるのだろう。

と、しんみり思いながら
仕事も遅くなり
22時くらいに帰ったらポストに
ピンクの封筒が。

あ、誰からかの
誕生日カードが届いたのかなって
思って開けたら…
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なんと母が最期にお世話になった
緩和ケア病棟の看護師さんからだった。

以下、全文。

“立春が過ぎたとはいえ、
まだまだ寒い日が続いております。
Y様のご家族様には
いかがお過ごしでしょうか
Y様が他界され、5か月が
過ぎようとしておりますが、
ご家族の悲しみが癒えるには、
まだまだ時間が必要かと
お察しいたします。
ほんの短い間でしたが
Y様を看護させていただき
Y様の人生最後の時間を共に過ごさせて
いただきましたことは、
私共にとりましても
大切な思い出となり、感謝しております。
ご家族の皆様にとりましても
Y様の思い出がこれからの大きな支えとなりますよう
心からお祈り申し上げます。
心身が変化を起こしやすい時期と思います。
どうぞお体を大切に、
ご自愛くださいますよう
心からお祈り申し上げます”

コートを着たまま
玄関で開けた瞬間
立ち尽くして号泣した。

なんで、今日だったんだろう。
この手紙が届いたのは。
どうして5か月という節目に
この手紙が届いたのだろう。

今日は私の誕生日なのに。

久しぶりに声をあげて泣いた。

“キミのことを
ちゃんと覚えてるよ
頑張れ!”
って
ここでも励ましてもらったようで…。

そうか
私は泣きたかったんだ。

私は一人じゃないんだ。

明日から
もっともっと前向きに
生きていきたいと思います。

本当に
ここまで生きることができて
みなさん、
ありがとうございました。

そして、
父と母に感謝したいと思います。
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Me ke aloha pumehana

時々泣いていますが、元気です…

今日から始まった
チームバチスタ4”のドラマのテーマは
『終末期医療』。
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緩和ケア病棟とかって
言葉が飛び交うんですけど。

どんな展開するのかなあ。

話は突然変わりますが…
このブログのシステムが
よくわかんなくて
最近、いただいていた
コメントをやっと開いた。
ご紹介させていただきます。

「こんにちわ。突然のメール失礼します。
私の父も、がんの発覚から早8年がたち、治療をし続け、今に至ります。
これまでは、父の病気をわかっていながらも、直視するのが怖く、考えることを避けていた部分もあるのですが、先日、初めて、いつどうなってもおかしくない状態・・ということを医者から直接伝えられました。
8年もたって、今更動揺するのもおかしいかもしれないのですが、最後通告を突きつけられた気がして、しっかりしないといけないのに、情緒不安定で、気づくと涙している自分がいました。
その中で、すがるようにパソコンで、がんについて調べる中、JAROさんのブログにたどり着きました。
こんな言い方をして、良いのかわからないのですが、お母様の闘病記を拝見させて頂き、JAROさんの思いやお母様の思いを垣間見させて頂き、自分を取り戻せた気がします。
JAROさんほど、強くはなれないかもしれませんが、これまでの落ち込んだ気持から、残された時間、父が少しでも幸せでいられるように、努力しようと、思うことが出来ました。
見ず知らずの私が、こんなことを言うのもおかしいかもしれませんが、少し前向きになれたのも、JAROさんのブログのおかげだと思い、一言お礼が言いたくて、メッセージしてみました。
ありがとうございました」


blogにコメントを頂く内容は
本当にとても支えになっていました。

『いきなり末期ガン…』の方に
多くのメールをいただいた方々は
みなさん、お元気なんでしょうか。

お会いしたことのない方々から
いろんなメールをいただき
考えさせられたりしました。
そして
私も大変励まされてきました。

この場を借りてお礼申し上げます。

皆さんが
いろんな形で支えてくださったおかげで
まだ
時々泣いたりしていますが
私は元気です!

Me ke aloha pumehana
(心より愛をこめて)

哀しい大掃除

一人になって
初めての大掃除。
一人でやると
広い家だ。

キッチンの棚のモノを移動させて
そこを拭くと
何かにぶつかる。
「え?」
覗き込むと…
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「何?」
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薬だ。
マグミット(下剤)だ…。

夏。
便秘気味になっていた母に
嫌がるのに騙し騙し
下剤を飲ませていた。
便秘になることは
避けてくださいと
医者にもいわれていたので。
朝、1日分のクスリを準備して
仕事に行っていて。
帰ってきて飲んでいなかったら
よく母を叱っていた…。

だからなんだろう。
母は私を怒らせたくない一心で
こんなところに隠していたんだろう。

あんな状態の時に
母を怒っても
もうしょうがなかったのに…。

ごめんね。

拭き掃除をしていても
涙が止まらない…。
大掃除すればするほど
母を思い出すものが
出てくるので
途中で止めてしまった。

そういえば
昨日
尾道に仕事に行った時に
フラフラと商店街を歩いた。

今年の正月は
母とここにいたのに。
http://blog.livedoor.jp/anise_neko-gan/archives/2013-01-05.html
あれ以来、初めて来た。
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ここでお好み焼きを食べて…
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ワッフルも食べて…
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千光寺に登ったのに…
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もう
ここに来ることはないだろう。

Me ke aloha pumehana

生と死の哲学と看取り

クリスマス前の3連休、
いかがお過ごしですか。
私は毎日仕事しておりました。

3連休の中日(なかび)。

広島県介護福祉士会の
研修会に1日、行きました。

テーマは
“生と死の哲学と看取り
~看取りに出会ったときの観察力・
対応力を身に付ける~”
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県立広島大学の看護の先生が
講師でした。
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自分のやったことに
答えが欲しくて
認めて欲しくて
こんな時に
こんなとき聞くのもつらいけど
行ってみた。

看護師さんがお話になるからなのか
「下顎呼吸になると、あと数日です」
「認知症でしたらあと3年です」
「耳たぶがぺちゃんこになったら
脱水です」
「1..5リットル飲めなくなったら
あと1年くらいです」


様々な事実と根拠を述べられるので
もっと早くそういう話を聞いておけば
良かったかなって思ったけど。

でも、講師の方の
ご両親は昨年亡くなったとのこと。
よく自分の親の死を冷静にみて
人前で話されるなあって
感心した。

と言いながらも
やはり家族となると
冷静な判断ができないといわれていた。

確かに。

最良ではないが
その時
最善な判断だったと思ってくださいって
言われた。

人は
生まれた時から死を経験している。
生まれる時は人間の手は
5本指がひっついている。
生まれる時
手の細胞が死んで、
5本指となる…。

なので、人間は
常に生と死が隣あわせにある。

家族の悲嘆はどれくらい続くか。

「2年といわれていますが
原爆を経験された方は
68年経っても受け入れられない方もいます…」

その後
リバプール・ケア・パスウェイ(LCP)の話も聞いた。

http://www.jspm.ne.jp/newsletter/nl_53/nl530801.html

看取りに関するアセスメントとか
いろいろあるんだなと勉強になったけど
“看取り期の本人・家族の悲嘆”っていう話の中で
本人や残された家族の心情で
『ショック・麻痺・否認
緊張・落ち着きのなさ
繰り返す死のイメージ
思慕・淋しい、不公平感、妬み
恐れ、不安、哀しみ、孤独感
無気力、怒り、疲労感…』
と話された時に
「過活動」という言葉が出た時
すごく反応してしまった。
これは、看取り期の本人の心情だそうだが、
残された家族にもあるような気がする。

淋しさを感じたくないから
休みを休みにしない。
「過活動」…。
結局
12月は1日も休んでいない…。

今日も仕事に行って
帰った時に
うちのニャンコが膝に乗っかってきて
めっちゃじゃれるので
その姿が可愛かったから
思わずいつも言ってた言葉を
無意識に言ってた。

「ねえ、ちょっと来てや
ちょっと、見て~」

誰も来ない。

そりゃ、そうだよね。

悲しくて淋しくて
ニャンコを抱きしめて
泣いてしまいました…。

2年くらいで
ホントに悲嘆は終わるのだろうか…。
プロフィール

yukojaro

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