「平成まであと〇日…」

毎日のようにカウントダウン。
「平成最後の…」にうんざり?
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それはしょうがない。
私だって、年号が変わるのを
前もって体験したことがない。
202年ぶりだそうだし。

大学受験中に昭和天皇が崩御され、
気が付いたら「平成」になっていた
30年前のことを考えたら
元号が変わるまであと〇日って正直初体験だ。

「平成のうちにやっておきたいことは?」とか
平成も切羽詰まった中
みんないろいろ取り組んでいるようだ。
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ってか

私にとって「平成」ってどんな時代だっただろうか。

前述したように
受験中の1月に平成になった
その4月
日本社会事業大学社会福祉学部に入学。

ということは、
私にとって「平成」は
私にとっての「福祉」の始まりだった。

それから30年。

福祉を学び
福祉を現場で体験し
福祉を教える立場になり
そして今にいたる…。

丸30年…。

平成での福祉の業界は
何か大きく変化があったのだろうか。

これからどんどん
少子高齢社会が進んでいく。
今後どのように向き合っていくのかは
私たち一人ひとりの課題なのであろう。

そして多様性を受け入れる力をつけていく。
それは、国籍もしかり、宗教や文化、
そして考え方。
でも、逆にこれは
常に、自分の中にしっかりと軸を持っていなくてはいけないこと。
自分をしっかり持つことが、新たなものを
受け入れていくことにつながるのではないかと思っている。

そしてもうひとつ。
平成は災害抜きには語れない。

私の中に「災害」が意識されたのは
やはり
1995(平成7)年の阪神淡路大震災ではないだろうか。
昭和の時代にもそれなりに大きな災害は
起こっていたのだろうけど
このように近年取りざたされているのは異常ではないか。

阪神淡路大震災の日
朝5時46分。
広島で寝ていた私は
びっくりするほどベッドが沈みこむくらいの
縦揺れの揺れを感じた。
慌ててテレビをつけると
大好きな神戸が燃えている。
忘れられない光景である。
当時、大学を卒業し、2年目の冬だったこともあり
周りでボランティアに行くからといって
仕事を辞めていく人や、仕事を休む人を見ていた中
私はどうやって現地に入るのか
何をしたらいいのか、何かしたい思いに揺れながら
何もできなかった自分がいた。
その後、3月に仕事で京都に行くとき、
まだ新幹線が開通していなかったため、途中
まるでがれきと化した町を駅から駅まで歩くことがあった。
戦争のあとのような町並みは
今でもその光景は脳裏に焼き付いており
次に何か自分にできることがあったら
絶対に何かしようと心に誓った記憶がある。

その後の2011(平成23)年。
東日本大震災。
広島にいた私が何度も現地に赴いたのは
阪神淡路大震災の件がきっかけで
それが今に続いているといっても過言ではない。

それからも災害のたびに
行っても駆けつけても
何か大きなことができているかといえば
そうではないのだが、
これからも福祉専門職として
災害にどう向き合っていくかを研究していきたいのは
この平成があったからではないだろうか。

かどうかはわからないが
平成最後の科研費にひっかかって
令和に向けて災害介護学について
研究していくのは
何かの縁ではないだろうか。

で私は
福祉と災害と共に
平成を超えて令和に向かっていく。

そして令和を迎える中で
人生50年となる。

とっくに人生は折り返している。
両親は2人とも68歳で亡くなっている。
それを考えたらあと18年しか
生きないかもしれない。
(なんとなく…)

1日1日を無駄にせず
令和を過ごしていきたい。

平成まであと3日。

どんな平成の終わりが
待っているのだろう。
そしてどんな
令和の時代がくるのだろうか。

Me ke aloha pumehana