ついにというか
やっと、やっと
博士の学位をとりました。
それも介護福祉学の博士です。
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正式には
博士(介護福祉・ケアマネジメント学)
という学位です。
昨日、学位授与式でした。
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この時の気持ちを忘れないよう
記録として書いておきます。
少々長文です。
あと、大学院に通われている方が
これを読んだら
博士も3年で修了しましょうと
お伝えしておきます(笑)

大学を卒業したのは
今からちょうど23年前となります。
そう、学士という学位をいただきます。
私は社会福祉学士でした。
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だいたい大学受験に失敗し
一浪で大学に入ったくらいなので
「あ~、これでもう勉強しなくていいわ」
くらいの感覚(?)でした。

大学を卒業ということで、
ここで
新たなスタートラインに立ちました。
23歳の時です。

が、その2ヵ月後、奇跡がおきます。
そう、社会福祉士という
国家試験に受かっちゃったんです。
多分、合格通知が来た時、
近所中に聞こえるくらいの
悲鳴のような声で
喜んだ記憶があります。
なんせ、自分は頭が
そんなに良くないと思い
自信がなく勉強してたので、
受かったのはまさに奇跡でした。

ここでも社会福祉士という
新たなスタートラインに立ちました。

最初、福祉専門学校の担任というか
チューターみたいな仕事で
就職したくらいなのに
社会福祉士に受かってからは
対策講座をしたり、
だんだん人前で話すことが
増えてきました。
また、働きながら
介護福祉士という国家資格も
とりました。

その職場から7年後
30歳で次の専門学校へ移りました。

そこで初めて
ちゃんと介護福祉士を養成すること
介護教員となる術を
教えていただきました。
介護の現場にも出ました。
ホームヘルパーとして。

楽しかったです。
毎日が。本当に。
悩みながら、相談できる人が
側にいてくださるということ。

36歳からは
事務長を兼務し
人を育てること
経営を考えること
色々なことを学び
その時は、それが楽しく
ほぼ全く、研究という道から
外れていたし、
それより、
そこのディレクター(社員)として
出世しようかとも考えていました。

するとある時
大学に来ないかと話をいただいて。
でも、大学卒だけでは無理と言われ
そう、38歳から
大学院(修士課程)に入学しました。

社会人大学院生は
色々大変だったし、
研究というものから
離れていたので、
本当に大変でしたが
2年で修士(医療福祉学)を
取ることができました。
またここで新たなスタートラインに
立つことができ、
晴れて大学の教員になりました。

介護福祉士コースの立ち上げで
大学に呼ばれたため
毎日が忙しい状況の中、
今後大学にいるなら
博士を取らなくてはならないと言われ
40歳で博士課程へ入学しました。

広島にいるのに
東京の大学院を選んだので
D(ドクター)1年生の時は
単位を取るため
毎週土曜日、15回
朝6時の新幹線に乗り
2~4限に出席して
また帰るという半年を過ごしました。
しかしこの時、
入学金を出してくれた父が
4月に急死したため
大学を1回は休んだ記憶があります。

D2になる前に
東日本大震災が3/11に。
だから2年生の時は
ご存知のとおり、
めっちゃ東北に
介護ボランティアに
行きまくっていました。
で、D2の夏くらいに
指導教員に呼ばれ
ちゃんと書きなさい、
で、論文のテーマを変えろと
指導されました。
私があまり納得がいくもので
無かったため、
調査もしたのに
論文から遠ざかる日々を
過ごしてしまいました。

しかしD3の時
母の大腸がんが再発し
D3が終わる時
ロッカーキーや学生証を
返しに行けないくらい母の容態は悪化。
そこで、満期退学を選びました。

満期退学とは
単位取得満期退学者で
博士課程満了者と
ここの大学では呼ばれ、
やっぱし私の実力は
退学よね、退学。
履歴書に
博士課程満了と書けるし
まあいっかみたいな。

この時点で
私はあと3年以内に書くと
3年で修了した院生と
同じ課程博士になれることを
知らない…笑

4年目に母が亡くなり
その後、東京の大学で
勤めることになり。

ハッと気づいたら
私、東京にいるじゃんと思い、
大学院に伺ってみると
指導教員の先生に
頑張ってあと2年で書き上げろと
指導された時に
6年で出れるんだと
初めて知る(笑)

それから
初めて赴任した大学
初めての東京での1人暮らし
慣れないだらけの中
あと2年で!
という勢いで
書き続けることとなったのです。

研究生という扱いになり
(ちゃんと授業料、払います)
大学院も近くなったので
(広島からは近いでしょ)
足を運び
様々な先生方から指導を受け
毎晩、土日祝日
とにかく書き続けました。

身体が凝って
動けなくなると整体にいき、
それも毎週行くのに
なんで毎週来てるのに
また凝りが戻っているんですか?
と言われるくらい書いてました。
実は(笑)。

でも指導を受けるたび直され、
納得がいくものが出来ず
決定的なのは
提出する間際
指導教員から
「これじゃ、受からないから出すな」
という指導までされました。

落ち込んで落ち込んで、
泣いて泣いて
それでも周りの先生たちが
ギリギリまで指導してくださり
なんとか提出。

しかし
次の山場の論文審査と口頭試問…。
けちょんけちょんに言われ。
こんな論文が世の中に出た時
あなたはそれでもいいんですか?
まで、追い込まれて…。

12月は
例年忘年会で埋め尽くされている
スケジュールなのに
顔を出さず
論文に向き合い続けました。

考察、結論を
全て書き直しました。

学生や教え子に調査をしたのに
その子たちが
ちゃんと介護の現場で
頑張れるために
何を書かなきゃいけないのか
多くの教え子と学生が
悲しまない論文にしなきゃって
それだけを願いながら。

でもホントは辛くて
死のうとも思いました。
形にならず、
それが結果をださなかったら
関わってくれた人に対して
申し訳なさ過ぎる、
って考えたら、夜が怖くて。
またお酒飲んで、みたいな悪循環で。

夜中に、今住んでる11階から
下を見てた、よく。

でも積極的には死ねないなあ。
せめて穏やかに生きる道を
選ぼうとか、
そんなことばかり考え、
もうヤバかったです。

この間、
大好きなフラも2年間
習いにいくこともせず
でも仕事のために
アロマテラピーの資格を取ったり
介護の学校というイベントを
企画したり…。
もちろん大学の通常業務も行い…。
挙げ句の果て、
肺炎で昨年入院したり…。
論文のために仕事が
軽くなるみたいなことは
決してなかったので
そういう意味では本当に大変でした。

論文審査、口頭試問の結果を
主査の先生から聞いた時
「おめでとうございます。
合格です。
本当にいい論文に仕上がりましたね。
よく書き直し、やり遂げましたね」
と、言われた時
身体の全身の毛が逆立つくらい
嬉しかった。

6年。
小学生が卒業するまでもの間
1つのテーマに向き会うこと
それは、私に向き合い続けること。

でももっと早くやれば
良かったとも思ってます。

こんなHPがあったので
載せておきますね。

博士号(Ph.D.)をとるまでの道のりをイラストで示すと。。。


今から博士を取る方、
取ってる方は
是非3年で
博士論文を書き上げましょう。

正直お金もかかりますからね(笑)

指導教員の
竹内孝仁先生。
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講師、准教授の先生方。
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一緒に修了できた博士のメンバー。
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大学院長の先生からいただきました。
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盛大にありがとうございました。
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記念品。
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お~、時計!
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お~、刻印済!

調査協力をしていただいた皆様。
教え子のみんな。
学生の皆さん。
関わってくださった先生方。
この論文に関わってくださった
多くの皆さん。
そして家族。
この報告を直接言いたかった
父と母と。

本当にありがとうございます。

また新たなスタートラインに
立ちました。

学位に恥じないよう
これからも切磋琢磨していきたいと
思っております
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で、何を書いたのかって?
おいおい、ブログに乗せていきますね。

Me ke aloha pumehana