今朝の新聞の一面は
ある意味衝撃的だった。
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『介護分野の人手不足解消へ、
資格要件を緩和』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141014-00050114-yom-pol
介護分野の深刻な人手不足を補うため、
厚生労働省は、介護職の資格要件を緩和する方針を固めた。
現行の資格を取得しやすくするか、よりハードルの低い新たな資格を創設する。
介護分野への外国人の受け入れも拡充し、2025年度までに約100万人の増員が
必要とされる介護職の担い手の裾野を広げる。

介護分野の人材確保のため、資格のハードルを下げるって話。

ハードルも賃金も安くするってこと?

昔の「ホームヘルパー2級」
っていう研修から
現在の介護の実習に行かなくても
130時間の研修で取得できる
「介護職員初任者研修修了者」の要件を
もっと緩和して
短い時間で取れるようにするか、
新たに研修時間の短い資格を設けるかということ。

今の初任者研修でも内容が薄いのに
それ以上研修時間の短い資格って
どんな研修なんだろ。

誰でもやれちゃうキャンペーンみたいな。

専門性がなくても
経験と勘とやる気があれば、
大丈夫~みたいな。

『経験』と『勘』。

この業界でよく聞かれる言葉である。
特に一昔前はそう。

介護保険が始まった時に
私もホームヘルプに行き始めたんだけど
当時はよくそういう言葉も聞かれた。

不思議なんだよね。
時々、
伝説のヘルパーさんって人がいるの。
そういう人たちって、介護保険前からやっているので年配の方が多い。
で、そのヘルパーが入ると
どこの利用者も
元気になったりするのね。

だからそんなヘルパーさんに
「どんなケアを
行なっているのですか?」と聞くと
みなさん、口をそろえて
「別に」とか
「特になんかしたわけじゃないよ」とかって言われる。

んな、わけないじゃん!

って思うんだけど、こればかりは
よくわかんないんだよね。
そういうベテランのヘルパーさんに同行させてもらっても
やっぱり普段いない人(私みたいに第三者)がいると
普通の雰囲気にもならないから
なんとなくわかるんだけど、
ちょっと利用者も構えるから
いつもどおりに行ってないこともある。

で、「経験と勘よ~」
「愛よ、愛」とかって言われて
あいまいな感じで、
結局、伝説は伝説で終わり、
新人は伝説から学ぶこともなく
辞めていき、
「若い人が定着しないのよね~」で
終わっていく。

徒弟制度か、介護は。

って思うことも。

「見て学んで~」とか
「やってたらわかってくるよ~」って
そりゃ、そうだと思うところも
あるんだけど、
結局、尊厳とか考えることも
抜けきっちゃって
ルーティンワークで毎日の
介護というより、雑務的な感じで
終わってしまってしまい
刺激がないとか、給料が安いとかで
話が終わっていく…。

先日の介護福祉学会でも
質問者が
「生活の専門家とかって介護は言ってるが
それを他の専門職がついでにやったら
介護福祉士とかって要りませんよね」みたいな質問が出て
また驚いた。

じゃ、介護って何よ?

そこに尽きる。

こんなこと、
介護福祉士の国家資格が出来てから
ずっと繰り返し、繰り返し
議論されてきているけど、
未だ、結論に達せず。
で、学問の構築が求められている。

まあ、介護福祉士を養成している教員が
ぶれているから、国全体がぶれる。
国がぶれているから、教員がぶれているのか
よくわかんないけど。

介護って
これまで家族がやってきたりしていたから
誰にでもできるし、
特に“ケアリング”とかって言ったりして
ジェンダーが深く関与していて
女が「ケアする性」だと考えられている。
それは、①ケアが女の仕事だと考えられて
②しかも女なら誰でもできる非熟練労働だと考えられて
③供給源が無尽蔵だから
と、上野千鶴子さんが言ってる。
中高年の既婚女性だけでなく、
若年の男女単身者、
高齢男性等の参入にともなって
「ケアは女の仕事」という前提は
思い込みなんだし、
神話的なものになりつつあるけど、
こうしたジェンダー要因は
いっこうに崩れない。
崩れないから、ケアの値段も安い。
なぜなら
「女の仕事」って考えられてきたから。
って、上野さんは
これに反対してるけど。
でも、世の中的はニュースにあるように
「高齢者や子育てを終えた女性など、
幅広い層の参入を狙う」って
考えているのよね。
やっぱり、女性狙い。
ジェーン・ルイスさんは、
ケア労働について
「価値が低い、報われない労働を女性がしている」
というより、「女性がしている労働」だから「価値が低い」って指摘し、

男がケアに
もっと従事するようになるまでは、
ケアの価値が今より高くなることは
ほぼないだろう。

って予言している。

って、考えたら、
国もまず資格のハードルを低くするよりも何をしなきゃいけないかを考える必要がある。

介護福祉士って資格を作るために
当時奔走した
私の恩師の中島紀恵子先生は
「介護ってなんだと思う?」って
未だにダイレクトに聞いてこられる。

「介護とは身体を良くすることよ。
それも環境との関係の中で」って言われた。

要は介護って
機能障害、形態的にも障害がある人を
介護は対象者としがちだけど、寝てる人だけをみる専門家ではない。
尊厳を持ちながら、利用者と対等にモノが言える専門職。
これが介護福祉士。
介護の社会的信用は、社会福祉よりも経験が長いのよ。
だからこそ、介護福祉士は、
『身体の機能から環境を見て整えていかなければならない』それは、歩けないとか、それでも何歩歩けるか、
じゃあ、靴の高さはどう?姿勢や歩幅は?
アセスメントとは、そこで、生活の場で、
大事な暮らしを送るために、
今、何が必要なのか、暮らす人に何が不自由なのか。
そのために、どういう生活環境でないとだめなのかということを
考えないと意味がない。
で、介護の専門領域じゃないところは
多職種と連携しなきゃダメなんじゃないの。
だから、アセスメントは1日に何回もしなくちゃだめ。

座れれば、立てるんだから、寝かせきりじゃだめ。

介護とは何か。その人をどうみるか。
その人にとって、最善の生活のあり方を手助けすること。
できる可能性を追求していく。
本人が欲する生活のあり方とは何か。

PTは身体の機能や能力の回復をみる。
OTは労働する機能や能力の回復をみる。
介護福祉士は生活する機能や能力の回復をみる。

じゃあ、介護福祉士の教育は何を教えればいいのか。
ただ、
愛とか優しさとかだけじゃないでしょ。
だから、介護の知識と技術は何が必要なのか
ちゃんと現場をみて、
学生に教えなさい!!

と、先生に会うたびに叱咤激励される。

尊敬している上原千寿子先生も
こう言われてる。

現代社会は従来の医療や
看護やリハビリでは
カバーしきれない現実が発生し、
人生の再設計や生活の枠組みを支える
社会福祉と基盤を同じくしつつ、
これまでは家族がいることが前提で、
誰にでもできると思われていた
日常生活場面に
人間の尊厳と自立をベースに
その人の状況に応じて支える
「介護福祉」という
新たな専門性が位置づけられた。
それは、「療養上の世話」とは
次元の違う、個別性の高い、
生活の全体像のみならず、
地域での関係づくりまでを視野に入れた
幅の広い生活支援だと。

4年間や2年間、
ましてや130時間なんぞの
介護を学ぶ時間は不要だと
思われているのだろう。
100万人も必要なのだから、
ホントは。

まさに国が選んだのは、
そう、『質』より『量』である。

でも、だからこそ、
人の暮らしに一番近いところに入り込む
介護の仕事だからこそ
ちゃんとした研修や学びが必要なんじゃないだろうか。

介護が担うべき役割。
生命を止めない。
暮らしを止めない。
その役割を守る。

って、私は今、どうするべきなのか。
わかってる、わかってるんだけど。

あ~、悩む。あ~、無力。

あ~、介護は
どこに向かっていくのだろうか。

Me ke aloha pumehana

引用参考文献:上野千鶴子「ケアの社会学」太田出版
      上原千寿子 時代の変化の中で求められる専門性「介護福祉」社会福祉振興・試験センター