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緊急!「大地震の教訓」を教えてください に参加中!
日本国中の人が、教訓にすべきは、
地震を含む災害というものは、いつ何時
自分の身に降りかかるか分からないということだ。


そのことをしみじみ実感させられた地震。


M8.8、震度7。


東北地方太平洋沖地震。


今日もBlogを書くことを躊躇したが
被災地である福島県の郡山にいる
教え子が大変な状況でも
私のBlogを見ているという連絡を
わざわざしてくれたので
彼を励ますためにも
Blogを書こうと思う。


広島で地震といえば
忘れもしない
2001年3月24日(土)
15時27分におきた
安芸灘地震(芸予地震)だろう。


この時の地震は
M6.7、震度6。


死傷者288人。


大きな地震だった。


私は当時土曜日は
ホームヘルパーとして
現場に携わっていたため
16時からと18時からの
ホームヘルプに備えていた。


そろそろ8階のマンションから降りようとした途端
「ドーン」と揺れた。
食器棚から食器は飛び出るし
カラーボックスを積んで書棚にしていたものは
がっつり倒れるし
8階だから相当揺れた。


なんとか玄関を開けたが
エレベーターは止まっている。


「ヤバイ」


自分の家のことは後回しで
すぐに現場に駆け付ける準備をし
なんとか車を出して
まず1件目に。


そこは家族がいらっしゃる方だったので
こんな大きな地震の時に
風呂なんかに入っている場合ではないということで
今日はいいですと言われたので
すぐに18時からのケースの利用者宅に
飛んでいった。


その利用者Mさんは
一人暮らしで
ましてやALSで
両手がすでに上がらない方だった。


75歳の頑固で文句ばかりいうMさんだったが
私がかけつけた時
車いすからは落ちておられ
両手が使えない状態で
タンスの下の方で縮こまっておられた。


「Mさん!」


声をかけても
茫然とされており
ふだんは1時間ばかりの滞在であるが
その時は落ち着くまで
2時間ばかり
側にいた記憶がある。


結局かけつけた後
担当のケアマネがきたのは
それから1時間後。


そりゃあ、多くのケースを持っていたら
かけつけるどころの騒ぎではないだろう。


でもこういう時は
介護保険で1時間の契約だから
1時間で、ということには結局はならない。


教訓として
柔軟性のある制度やサービづくりを
国は考えていかないといけないのではないか。


ホームヘルプも
やってはいけない行為を
挙げられてはいるが
こういう災害の時とかは
そんなこと言ってる場合ではない。


この被災地の中
利用者の方のために
奔走している
介護・福祉現場のスタッフには
ホントに頭が下がる。


日本社会福祉士会
日本介護福祉士会は
何をしているんだろう。


福祉士の私たちへの
招集とかしてくれたら
いつでも行くのに。


何もできなく
はがゆいばかりである。


それからの
利用者Mさんは
その大きな地震から何を考えたのか
次に私に会った時に
「人生最後のお願い」を
私に話始めた…。



話の内容は
「え?」「え~?!」



この続きはまた。



東日本が
これ以上
悲惨な状況になりませんように。


みなさんが傷つきませんように。


心から祈っています。


そして、
ありきたりな言葉ですが
頑張ってください…。


落ち着いて
助け合って
励ましあって。


人間は
そんなに悪くない。


支えあい
わかりあいたい
ものだから。


だから
信じて。


世界中の人たちが
助けようとしているから。


こんなエールしか送れない私だけど
生きて、生きて。


そしたら
またいつか


きっと


逢える。


笑顔で。