メケアロハプメハナ☆

みなさん、ALOHA~! Me ke aloha pumehana(メケアロハプメハナ) とはハワイ語で「心からの愛をこめて」 という意味です。 これからの超高齢社会の介護とかについて、気が向いたら愛をこめて(?)つぶやいています。 そして、もうひとつ書いていたBlog“いきなり末期がん患者の家族ですけど、何か?”の続編をこちらで書き続けたいと思っています。 どうぞ、つぶやきにお付き合いください。

2013年12月

青春リフレイン!?

先月の介護の日のイベントで
くさか里樹さんと
トークショーしているところを
見ていたFM東広島の
パーソナリティーさんからオファーを受けて
FMの生放送に出演してきました。
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それも夜8時から1時間くらいのフリートークで。
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パーソナリティーは
岡本 啓二郎さん。
よくよく聞いたら、
東広島の障がい児施設の
相談員さんだった…!
すごい副業!
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コーナーは
「指導者に聞く」
イヤイヤ、指導者じゃないしぃ(笑)
テーマは
「若い世代に『福祉』を伝える」
というやりとりの中で
幼少期の想い出は?とか聞かれて。
そっか~、私の昔が
トークのネタになる年齢なんだなあ。
って、しゃべり始めたら止まらないし(笑)
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岡本さんが『ヘルプマン!』を読んでらっしゃるということで
話はヘルプマン!中心に
私の話も進んでいき。
あとは、被災地に行ったことが
よく聞かれたような。
その他に
大学を卒業してどうしたのか。
大学の教員になるまでどうしたのか。
介護の現場はどうだったのか。
…。
自分の半生を
電波に乗せるって不思議な気分でした。
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今日は午前中に東広島の交通安全教室に
学生と参加。
そして、夜はラジオ出演という1日。

今の大学に勤務して5年。
やっと大学のあるこの土地にも
少し認めてもらえるようになったかな。

リクエスト曲も2曲ほど
選んでいましたが、
しゃべりすぎて
1曲で…。

「なぜ、この曲を
リクエストされたんですか?

「人生で何度も
ダメだ~って思った時に
励ましてくれる曲だからです」

「それでは曲紹介をお願いします」

お~、なんか芸能人みたい(笑)
でした。

「では、聴いてください。
小田和正で
“君住む街へ”…」


Me ke aloha pumehana

間に合わなかった…

一昨日Blogに
末期ガンの家族を抱えている
知り合いのことを書いたばっかりなのに。
昨日、ケアマネも決まって
明日、専門職が集結して
家族も参加する大掛かりの
カンファレンスだったのに。
『家に帰りたい』という望みを
ホントに叶えられると思ったのに…。

今朝
息を引き取られました。

間に合わなかった…。

悔しかった。

40代で亡くなられたご家族。
本人が一番
無念だっただろう。

せっかく、つながったのに。
専門職がやっとつながったのに
間に合わなかった…。
すごい残念だ。

地域緩和ケアとか
在宅ホスピスケアとか
言われはしてるし
住み慣れた家でと
国も提唱してるのに
結局は、無理じゃん。

家族の決心も必要だけど、
なかなかスムーズに病院からも帰れない。

でもきっと
彼は帰りたいけど
家族に迷惑をかけたくないと
思ったのかもしれない。

母を連れて帰れなかったことを思い出し
それと
彼の死が重なって
1日泣いていた。

明日は母の月命日なので
墓に行ったからか
余計に泣いた。

夜のフラのレッスンに行った時
先生から
「どしたん?そんなに目を腫らして」と
言われるくらい1日泣いていたらしい。

帰りたかったよね、きっと。
親を残して、先に逝くことは
本当に悔しかっただろう。
40代で亡くなること。
私も他人事じゃないなと思った。

人はどこで最期を迎えるのだろうか。

余命が限られた場合、
「自宅で過ごしたい」とする人は80%
(日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団)
にも達している。
また、厚生労働省の調査では、
余命6カ月以内の末期状態の患者の場合、
「必要になれば医療機関を利用したい」
を含め、
「自宅で療養したい」と考える人は
60%を超えている。

しかし実際、自宅で亡くなったのは13%くらいにすぎない。
約80%の人が病院で亡くなっている。

なぜ、難しいとされる
「自宅で最期まで療養する」ことを
国は推進するのだろうか。

在宅療養支援診療所もしかり
もっともっとスムーズに
在宅で看れるようなシステム、体制づくりを
作っていかなければ、
絵に描いた餅である。

私はこのままだと
どこで死ぬのだろうか。
写真 (5)

私も病院で
一人淋しく死んでいくのだろうか。

最期は自分の家で自分らしく過ごしたい…

在宅ホスピス。

今年になって地域包括ケアシステムって耳にするようにもなり
終末期医療や緩和ケアまでも含め
可能な限り住み慣れた地域で、
自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるよう、
地域の包括的な支援・サービス提供体制
(地域包括ケアシステム)の構築を推進するって
厚生労働省が言っている。

「病院のベッドの上ではなく、
長年住んだ自分の家で家族とともに
人生の最期を過ごしたい」という
患者さんの想いを支えていくのが、
在宅ホスピスである。

でも、家で最期までみる覚悟をしても
なかなか看れなかった現実がある。
私もその一人である。
覚悟はしたのにね。

http://blog.livedoor.jp/anise_neko-gan/archives/2013-04-04.html

今、知り合いが
末期ガンの家族を
家に連れて帰るかどうか
悩んでいる。

もちろん、
私が母を看ていたことも知っている。

だからこそ、悩んで電話やメールが入る。

「あなたが今の私の立場なら、
家族を連れて帰る?」

母を最期、連れて帰りたかったけど
連れて帰れなかった悔しさ。
そして
自分が福祉の専門職という
妙なプライドで
最後まで専門職を信じ切らなかった
後ろめたさ。

「連れて帰ろうや」

だから、私は
もう1度、
あの信じた訪問看護ステーションに
電話をかけて、助けを求めた。

現在入院している家族は
連れて帰るにしても
年が越せるかということも微妙な
体調だそうだ。

でも、電話の向こうで
「元気ですか?落ち込んでないですか?
お母さんのことから、
これも何かの縁ですね。
頑張りましょう。やりましょう。
連れて帰りましょう」

訪問看護ステーションが
在宅医を紹介してくれた。
ヘルパーステーションも決まった。
すぐに役所に申請にいったら
3日後に訪問調査が入る。
翌日には主治医、看護師、薬剤師、
ケアマネ等が入って
カンファレンスがあるらしい。

いいじゃん、いいじゃん。

帰ってこれるかもしれない。

最後は本人と家族の覚悟!

私が母にしてあげられなかったことが
誰かの役に立つかもしれない。

なんかあったら、
困ったことがあったら
すぐに連絡してねって言ってるけど
自分のことは
やっぱりよくわからんことも
多かったけど、
人にはいろいろアドバイスできる
もんなんだなあ…。

上手くいけばいいね。

いや、きっと上手くいくよ。

だって厚生労働省も言ってる。
最期は
自分の家で自分らしく過ごしなさいって。

大丈夫。
チームケアでバックアップしてくれるから
専門職集団を
信じようや。

母が亡くなって
3回目の月命日がきます…

最近、喪中ハガキで母のことを
知った方から、電話やお花が
よく届きます。
写真 (4)

まだまだ
正直、運転している時とか
一人の時とか、
勝手に涙が止まりません…

弱いな、私。

って、実はしんどい時や
弱っている時にBlogって書くよね、私…

検索…

自分の名前を検索したことがありますか。
それも画像検索とか…。
写真 (1)


ひぇ~。

「私の名前 広島」
なんぞ、検索した暁には…。

怖ろしや怖ろしや…。

どこで誰がみているのかわかんない。

と言いながら、
今週末
12月15日(日)の20時から
FM東広島の「青春リフレイン」
40分くらい生放送で登場する予定です(笑)

2~3曲
流してくださいといわれてますが
何の曲を流してもらおう…。

ま、小田和正は絶対だな。

っていうか、
いろんなところで名前が出ているので
ちょっとおとなしく過ごそうと決めました。

すごい嬉しいことと
人生、すごい哀しいことが
あまりにどっと押し寄せた
2013年だったので
正直
疲れました…。

2014年も
新しいことに
立ち向かわないといけないので
ちょっとそのための
エネルギーを
蓄えておきます。

Me ke aloha pumehana

本当に…

本当に辛いのは助けてって言えないこと


本当に怖いのは忘れられてしまうこと


本当に悔しいのは気持ちがすれ違うこと


本当に寂しいのは独りだと感じてしまうこと


本当に楽しいのは一緒に頑張れたこと


本当に嬉しいのはありがとうが言えたこと


本当に愛しいのは
そばに居たいって気づいたこと


本当に淋しいのは夜中の2時…


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yukojaro

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